2020年5月9日土曜日

私のレッスン ~ その①:相手は自分 ~


新しい子達のご紹介を2回分挟みましたので、前回の対人関係についてのお話から少し間が空いてしまいましたが....本日はその続きと参りますね(*´꒳`*)




他の誰か/相手 とは一体誰のことか? ということについて、スピリチュアルな事に関心があったり、ワンネスを学んでいる人なら、それが紛れもなく自分自身であるということは 知識としてアタマでは十分に理解できることかと思います。



例えばこれが、自分が愛する人たちを対象にしているならば、そうしたアイデアはより受け入れやすいことでしょう。

身体的に"赤の他人" であっても、例えば ソウルメイトとかツインソウル/ツインレイ/ツインフレーム のような繋がりを感じる相手であれば、相手=自分であることはむしろすんなり そう思えるはずです。

でも、一なる世界では、そうした一見幸せな側面を持つ相手も、自分を悩ませる嫌だな~と思うような相手の違いもないのが真実です。

カタチの上で、どんなに相手が酷いことをしたりして受け入れがたいとか 嫌悪せずにはいられないような人でも、真の世界では、その人も「愛」です。

「そうは言ってもね~~;;;」と思いたくなるのは、正直なところかと思います。


私も、その事実を知って、かつワンネスを学び始めても、「そうは言ってもね~~;;;」と言いたくなる過去の出来事の登場人物や、新たに目の前に現れた人達にも悩まされてきました。


でも、いつまでも、「そうは言っても、自分とこの人は違う!」と我を通し続けては、その先には進めません。

その道を阻むのが自我/エゴの企みなので、いくらでも拒否したい・拒否できる理由をわんさかと挙げることができるのも わかるのですが・・・・・

二元性のこの世的解釈に頼ったままでは、決して一なる愛・真の我が家には辿り着けないことに気づかなくてはなりません。











「相手=自分」であるという事実を、私が 徹底的に学ぶことになった最初のレッスンを、今回 書いてみたいと思います。


私が通過していった心の変化や、ワンネス的ポイントの部分を太字にしてあります。


実際に目の前に起きている状況に、ワンネスの理論を組み込んで実践していくプロセスの参考等になれば...と思います(*´꒳`*)





 ⍋.⍋.⍋ * ⍋.⍋.⍋ *





最初のレッスンは、ワンネスを本格的に学び始めた直後に、まさに完璧とも言えるタイミングでスタートしました。



会社の同じ部署に、新しい派遣の女の子が入ってきたのですが、この子が過去の人生で見たことないくらいのレベルで、怒りに満ちた子だったのです。

彼女は 怒りを相手にぶつけることで 何でもコントロールしようとしていたし、上手くいかなければ更にもっと怒るような子でした(*_*)(◎_◎;)
成人した大人の女性が、電話の相手とのやり取りに怒って、電話を切った後に、その電話を壁に向かって投げつけたりしているのです(◎_◎;)
彼女は、同じ社内の営業職の人によく怒っていましたが、私は私達の部門とやり取りする彼らは、どの人もジェントルマンな方が多くて 皆イイ人達ばかりだな~♪ こんな働きやすい職場でラッキーだわ♡ とずっと思っていたので、彼女が電話を投げつけるほどの理由にも理解に苦しむほどでした(+_+)

それにしても彼女は 舌打ちをしたり、大声でも小声でも暴言や悪態をついたり、とにかく怒りのエネルギーでいっぱいで・・・(T-T) 

このような子と出逢ってしまった自分に 最初はショックなくらいでした。

しかも、そんな彼女と約2~3年近くずーーーっと隣の席でした。

ボスは、私なら彼女に耐えられると見込んでいたようです;;;; 同じ部署で隣の席なのに、彼女と私の業務の直接の関わりはゼロなので 非効率とも思える配置でしたが...何度席替えをしても、何故か角の席の彼女とその隣の私(と私の隣のボス) だけは、席が替わらないという^^;; 
最初の頃は、早く彼女の隣を離れたいと思ってしまっている自分がいました(>_<)


そんな感じでしたので、彼女と自分が カタチの上でどれほど "違うか" は、いくらでも列挙することができました。

でも、いつまでもそうして自我/エゴの言い訳に加勢していては、ワンネスの学びにはならないということに、腹をくくりました。
違うこと=分離や個が存在することを認めていては、一なる世界に辿り着けないですからね。


まず私は、自分とは違うと抵抗することを止める必要がありました。

そして、このような子と出逢わなくてはならないような 身に覚えのない出来事がこの世に反映するのが、無意識の想念が浮上してきたことなのかもしれない、ということも受け入れる必要がありました。
そして、彼女を 今までとは違ったものの見方で見ることができるように(=愛の思考で見れるように)、上の人達に助けを求めるようにしました。

彼女を(心の中ででも)批判したい気持ちや、自分とは違うと言い張るのは、これは愛の思考ではありません。

彼女と同じ土俵の中にいると 自我/エゴに引きずられやすくなるので、観察をすることで客観さを維持するように努めました。
観察をすることにフォーカスし、そこから彼女のことはジャッジメントしないことに徹するのです。
ジャッジメントしたい欲求に駆られたら、ジャッジメントしたいのは一体誰??(自我/エゴ or 愛?)と自分に問いかけるようにしました。


そして、隣の席になって半年くらいが経って、ある時ハッと気づいたのです。


それまでは、彼女の怒りに、私が影響を受けてしまっているような構図でした。

彼女がずっとイライラしているので、こっちも知らぬ間にイライラしていたり、気分が悪くなったり。。。

でも もし、相手=自分であるなら、私の愛を彼女に影響させれば良いのだと ---とわかったのです✧*


愛を与える...と言っても、例えば彼女と仲良しこよしの親友同士になるのか...というのは違うと思いました。


これをどのように彼女に行うか....も、たくさん祈って瞑想し、上からの助けを求めました。


この世界や、肉体そのものは幻想です。

一なる世界では、肉体を伴う行動が大切なのではなく、心・思考がより大切なはずです。

彼女と親友同士になれれば、それはそれで素晴らしいことかもしれません。

しかしながら、彼女の日頃の言動を注意する目上の人達にも、陰で悪態をついて一向に反省しないでいることを 隣の席である私は 常に一部始終をみてきたので、私が彼女に話しかけたりして 直接に行動を起こしても、そこに希望があるとは思えませんでした。
例えこちらが善意の気持ちであっても、彼女にとっては 自分が批判された→怒る というお決まりのパターンに陥る可能性が高過ぎました。

(業務の関わりはゼロなので、私はいつも、彼女を無視はしていないけど、一定の境界線を保つようにして距離を置いていました。

彼女はいつも誰かに怒っていましたが、私にその怒りを向けられたことは なかったので、私も彼女に対しては 他の人と変わらず分け隔てのない接し方に努めていました。
だから そういう意味では、彼女は 私のことを"自分には危害を与えてこない人" だと思ってくれていたはずです。)


そして、上からやって来たひらめきは、彼女に対しては直接的な行動は何もしない けれど、私の日常の愛情深い表現(そんな大袈裟なものではないのですが)を、ちょっとだけ彼女にもわかりやすくする、というものでした。

彼女がいつも怒っている問題が、隣の席にいる私に筒抜けであるならば、私が仕事で愛情をもって接する言動を、彼女に筒抜けにすれば良い、、、ということです( *´艸`)♪

以来、隣の席になってからの大半の期間を この実践に費やすこととなりました。


当初、もちろん上手くいくかどうかなんて、わかりません(>_<)


でも、毎日毎日、私は自分がやり取りする相手に対して、今までよりちょっとだけ意識して隣の彼女に筒抜けになるように努めました。


相手を労わることや、感謝の思いを伝えたり、何か素敵なことがあれば称賛したり、ジョークなどでも 和ませたりしました。

たま~に理不尽なことを言ってくる人に対しては、自分が怒らずにハンドリングする方法も、彼女の手本になるように努めました。

そして、相手とやり取りするのには、決してへつらうわけでもなく、怒りに任せてやり合おうとするものでもないことを彼女に知ってもらえるように努めました。


私自身や or 多くの人にとっては 当たり前/当然でも、それが彼女に筒抜けになると、明らかに私の言動に、衝撃を受けているのがハッキリとわかりました。

隣から私を しばしば "ガン見" していたくらいです。


地道に続け、その後 実践3ヶ月くらいを過ぎたあたりからは、そーいえば、彼女は以前と比べたら怒ってないな~~と気づくように。。(*´꒳`*)

彼女が穏やかな日が、増えていっているのです *.+゜
彼女の口から、感謝の言葉が発せられたり....以前にはありえなかったような変化が出てきたのでした *.+゜

そしてある時、今までなら電話口ですぐにキレていた彼女が、グッと怒りをこらえて、呼吸を整えて、私が彼女に見せていた通りのハンドリングをして窮地を切り抜けた時がありました(≧▽≦)


もうこの時は、心の中で彼女にビッグハグして、心の中で歓声を送っていました(≧▽≦)

(彼女に"直接的に" 何かすることは決してありませんでした。徹底して、間接的か私の心の中での実践でした。)

彼女が怒りを体現しなかった瞬間を 見せてもらうことができました(T▽T)*.+゜


---- 以来、彼女も対応に努力していることを、はたから見ても 一層感じれるようになりました。。。☆





この、愛情を彼女に筒抜けにさせる作戦をしてからは、私が彼女の怒りのエネルギーにダメージを食らうことも、徐々になくなってきました。

自分が愛の起点(原因)になることができると実践し、体験することができたのです。


そして彼女は、私と数少ない会話を交わす時はいつも、嬉しそうというか 幸せそうに見えました *.+゜しおらしくて、目くじら立てていた時とは別人のようでした。

そうした心の状態を、他の誰とでもできたら、もっと毎日が穏やかになるよ♪*.+゜。。。と心の中から 私なりに精いっぱい声援を送っていました。。。心の中で(^_-)☆



彼女の怒りの比率と穏やかな比率が逆転して落ち着きを感じ始めてきた頃、やっとやっと、席替えで彼女の隣から離れることができました。(半年に1回位ある席替えで、4回目くらいにしてやっと替わった)

---- とはいえ、この頃には、私は彼女が隣でも隣でなくても気にしない....くらいに、私も彼女に対して、最初の頃のような嫌悪したり身構えたりする気持ちもなくなっていました...✧*.+゜



彼女をたくさん観察して、時に色々想像した中で、彼女はもしかしたら家族間でも愛情深く育てられてこなかったのかもしれません。

もしくは、過保護すぎて自分の言いなりにならないと気が済まなかったのかもしれません。
背景の事実はわかりませんが、彼女がこんなにも怒りに支配されているのには、何らかの根深い原因があるはずです。

ここに書けば これしきの内容ですが、数年間 毎日 彼女の怒りと向き合い(嫌でも隣で全てを目撃できる;;)、なぜそういう心理が働くかの理由を考えたり、自分の今も過去も洗いざらい内省したり、どうやって彼女に愛を伝えていこうか考えながら行動し、彼女のエネルギーに打ち負かされることもなく、自分の自我/エゴの反抗や言い分に負けることもなく、今までとは違った見方を受け入れていく(=愛を選択していく)努力は、とりわけスタート間もない頃は、大変でした。



それでも、彼女との出逢いは必然であることを信じて、愛情深く接すれば その愛が何らかの形で返ってくること、誠意を持った自分を確立することで 相手と対等にやり取りができること、物事には短絡的に怒りに任せる以外にも方法があること....等々、もし彼女が今まで馴染みがない世界だったならば、今回のこの出逢いで少しでも良い刺激になったらいいなぁと願いながらの毎日でした。。。☆


彼女がいつでも 穏やかで幸せな気持ちをたくさん持てるように祈る時、自分のことのように 本当にそのように叶って欲しくて 涙が溢れ、そこにかつての この人と自分は違う というような分離の概念が無いことに気づくようにもなりました *.+゜

彼女の幸せ=私の幸せ なのです。




...そして...、彼女の怒りは、私の無意識の中の怒りだったのか..ということも自分なりに考えました。

当初の私は認めたくありませんでしたが、たくさんたくさん内省をし、この世に生まれてきた根源までのことをたくさん思い出し、見つめ直すことができました。
自我/エゴの言い分や ものの見方や、基本動作..みたいな事柄を、いーーーーっぱい知る=向き合うことができました。

ワンネスを学ぶ最初のステップに、彼女は感謝すべき必要な人だったことがわかります(-人-)✧*.+゜


それに、自分が愛になれば、それが外側に反映される(今回なら、彼女の怒りの念が和らぐ)ということを、身をもって実証することもできました。




どんなにカタチの上で相手と自分は違ってみえても、相手はやっぱり自分なのです。


彼女が出現して間もない頃、そのことを心から認めることに抵抗がありました。

でも、この抵抗を乗り越えたおかげで、その後に出逢うどんな人も、相手=自分であることや、無意識の想念の浮上がいかに"無意識"であるかということ....等々を、すんなりと受け入れられるようになったのも事実です *.+゜
一度できたなら、二度目は一度目より簡単です。
大変だったと思えるなら、余計にそれ以降は楽になっていきます(*´꒳`*)b



 ⍋ *




席が離れた彼女は、まもなく派遣切りにあって退職しました。


まさに出現と共にレッスンが始まり、レッスン合格で去っていく...みたいな、不思議な出逢いでした。



当時から10年以上が経過した今、どのような状況でいるかはわかりませんが、どうしているだろう...と思います。

彼女の周りや彼女時自身が、愛情深い人や環境に囲まれていることを、陰ながらではありますが心から願って止みません。。。☆




 ⍋.⍋.⍋ * ⍋.⍋.⍋ *






単発的な小さなレッスンは様々ですが、平日の会社勤務時間 全てをワンネスのレッスンに費やした大きな(長期の)レッスンは、もう一つあります。


それはまた次回の その② にて触れたいと思います。







- THE JOURNEY HOME